プログラマの愛情を他人はわからないから
2009年10月4日
「サービスやシステムの開発・運営を継続する上で、
愛情・愛着を持つことは重要(*1)」
愛情・愛着を持つことは重要(*1)」
・・・という話は、誰に言っても通じる話だと思いますが、
プログラマの場合は、
「ソースが充分にリファクタリングされ、美しい」
「モデル化がうまく行き、クラス設計が完璧」
「完全にテストドリブン」
「自作ライブラリを利用している」
・・・など、こういう点が愛情の発露・維持に繋がるんだ、ということは
上記ほど世間様には知られておりません。(てか、全く)
リファクタリングやテストドリブン等、
プログラマの儀式(非プログラマにはそう見える)を説明する際には、
「ダメなんだよ!これじゃ、このコードじゃ愛せないんだよ!」
みたいなことを言うと、
もしかしたら、決済権者の方に
「あー、そういうことね、じゃあ工数取るよ」
と話が通じるかもしれません。(*2)
「しっかりした開発は大事でしょ、わかってよ」的なエントリを読む度に、
どっちかというと上記の影響の方がデカいし、話が通じるんじゃないかなー
と常日頃から思ってた(*3)ので、書いてみました。
(*1)
愛情があると、常日頃からそのことを考えているので、
アイデアも浮かぶし、設計や実装の不整合も気付くし、という風に
かなりのプラス補正が掛かります。
愛情があると、常日頃からそのことを考えているので、
アイデアも浮かぶし、設計や実装の不整合も気付くし、という風に
かなりのプラス補正が掛かります。
(*2)
まぁ、にしたって、単に判断の一要素に過ぎませんけど。
ただ、事実そういう「利益」は存在するので、顕在化はすべきだと思う。
(*3)
とか言っておきながら、
自分の場合は、そういうプログラマ愛が低いので、
実感としてはそんなに無かったりします。すませんです。